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夕暮れの土のグラウンドで、後ろ姿の子どもがフリーキックを蹴った直後。舞う土、コーン3本と味方1人の壁、奥に錆びたゴールと点いたばかりの照明

なぜこの10本か

世界には、フリーキックの名手と呼ばれた選手が数えきれないほどいます。その中から10本を選ぶとなると、基準がいるんです。私が置いた物差しは三つ。ひとつ、その一本がどれだけの舞台(大会の大きさや試合の状況)を背負っていたか。ふたつ、ボールの軌道がどれだけ「見ている人の常識」を外れていたか。ゴールキーパーが動けなかった、物理学者が論文を書いた、ゴール裏のボールボーイが思わず身をかがめた、そんな逸話が残っているかどうかです。みっつ、その後どれだけ語り続けられてきたか。三つとも満たす一本は、そう多くありません。順位は、私の見立てです。あなたが同じ10本を並べても、きっと順番は変わると思います。

No.10アンドレア・ピルロ — 前半に描いた、完璧な放物線

2012年6月14日 UEFA EURO 2012 グループC イタリア 1–1 クロアチア(ポズナン市立競技場)

EURO 2012、イタリアはクロアチアと対戦していました。前半、ペナルティエリアの縁で得たフリーキックを蹴ったのは、司令塔のアンドレア・ピルロです。UEFA公式サイトのイタリア語記事には、「完璧な放物線を描き、プレティコサの必死の伸びも届かずニアポスト側へ」という描写が残っています。壁を越えたボールは、キーパーの手が届く前にニアポスト側へ吸い込まれていきました。マン・オブ・ザ・マッチにはピルロが選ばれています。

うちの少年団の練習でいう「壁の上を越えて落とす」が、まさにこれです。強く蹴るだけでは、壁の向こうに落ちてくれません。落とす場所を先に決めて、そこへ弧を描く。ゆったり助走をとって、置くようにボールへ触れる。ピルロの蹴り方を見ていると、あの「落とす」感覚が体に入っている人の動きだと、私は思います。

No.9シニシャ・ミハイロヴィチ — 一人で刻んだ、セリエA初のハットトリック

1998年12月13日 セリエA 第13節 ラツィオ 5–2 サンプドリア(ローマ、スタディオ・オリンピコ)

セリエA第13節、ラツィオ対サンプドリア。この試合でシニシャ・ミハイロヴィチは、29分・45分・52分と3本のフリーキックを立て続けに決めました。ラツィオ公式サイトの回顧記事は、1本目を「30分ごろ」、2本目を「ハーフタイム直前」、3本目を「後半7分、25メートルからの左足のカーブ」と描いています。翌日のガゼッタ・デロ・スポルトは見出しで「直接FKで3得点は史上初」と伝えました。セリエAで最も多く直接フリーキックを決めた選手のひとりと数えられています。

サンプドリアでゴールを守っていたのはファブリツィオ・フェロンでした。2022年12月、ANSA通信の電話取材に応えて、フェロンはこう振り返っています。「彼は僕がゴールの中で何をするか知っていて、壁の上を狙って蹴ってきた。『これ以上うまくはいかなかっただろう』と、あの3点のあとに彼に言ったんだ」(筆者訳)。ラツィオの地元メディアによれば、フェロンは別のインタビューで、当日は怪我明けだったことも明かしています。

英ガーディアン紙のコラムは、少年時代のミハイロヴィチが家の金属の門扉にボールを叩きつけて練習を続け、父親が数週間ごとに門扉を替えねばならなかった、という話を伝えています。壁の高さを越えて狙う練習を、うちの少年団はフリーキックの基本に置いてきました。門扉を何度も替えさせた子が、やがてキーパーに「分かっているのに止められない」と言わせる。順番は、それしかないのだと思います。

No.8ジュニーニョ・ペルナンブカーノ — 名手カーンを追い詰めた、浮き上がるカーブ

2003年11月5日 UEFAチャンピオンズリーグ グループステージ バイエルン・ミュンヘン 1–2 リヨン(ミュンヘン・オリンピアシュタディオン)

開始早々、ミュンヘンのオリンピアシュタディオンで、ジュニーニョ・ペルナンブカーノが直接フリーキックを決めました。ガーディアン紙の描写によれば、35メートルからの浮き上がるカーブがポストとクロスバーの角に飛び込み、当時「世界最高のGK」と評されたオリバー・カーンは追いかけてポストに衝突したといいます。ボールが壁を越えると、ゴール裏の若いボールボーイは外れたと思って拾いに走り、ネットに入るのを見て立ちすくんだ、という場面まで描かれています。ジュニーニョ本人は後にこれを「あれは面白かった」と振り返っています(筆者訳)。

ジュニーニョ本人は2018年、英FourFourTwoにこう語っています。「長い距離からのナックルボールのフリーキックでは自分の最高傑作だ。カーンの左ポスト、バーのかなり近くに当たった」「ナックルの技術は自分のものではない。コリンチャンスのマルセリーニョの真似から始めた。1958年と1962年にW杯を勝ったジジも、当時からやっていた」(筆者訳)。控えGKのレミ・ヴェルクートゥルはフランスのテレビで、練習で毎日ジュニーニョのシュートを受け続けたと明かし、「1回の練習で30本か40本蹴って、9割は枠に飛んだ」「試合で決めた後、彼が最初に駆け寄るのはタッチラインの私だった」と振り返っています(筆者訳・ガーディアン紙が伝える)。

無回転に近い、あの独特の揺れ方。うちの少年団では「ボールの芯を外して蹴る」と説明してきましたが、芯を外すほど扱いは難しくなります。本人が言うとおり真似から始まった技術なら、真似の積み重ねでしか身につかない蹴り方なのでしょう。

No.7リオネル・メッシ — バルサ通算600点目は、フリーキックで

2019年5月1日 UEFAチャンピオンズリーグ準決勝第1戦 バルセロナ 3–0 リヴァプール(カンプ・ノウ)

前半に1点を先行したバルセロナは、後半にメッシが2得点。その2点目が直接フリーキックで、FCバルセロナ公式サイトはこの一本を「約35ヤードから」と書き、「アリソンには止めようがなかった」と記しています。この2得点で、メッシのバルセロナ通算得点は600に達しました。

試合後、リヴァプールのユルゲン・クロップ監督はこう語っています。「あの瞬間の彼は止められない。フリーキックは守れなかった」「彼はワールドクラスの選手だ。2点目はリオネル・メッシのキャリアで最高のゴールではないが、彼の技術を示している。彼はあの瞬間にそこにいる」(筆者訳)。メッシ本人は試合直後、ピッチ上でイタリアのテレビにこう語ったとGoal.comが伝えています。「あのゴールで隅を捉えられたのはとても幸運だった。美しい瞬間だった」(筆者訳)。

力より先に、どこへ置くかを決める。うちの少年団でいう「コースを狙って置きにいく蹴り方」で、メッシのフリーキックを見るたび、子どもたちにそう伝えたくなります。本人が「幸運だった」と言うのを、私はまだ半分しか信じていません。

No.6クリスティアーノ・ロナウド — 壁の上から、上隅へ曲げた一撃

2018年6月15日 FIFAワールドカップ グループB ポルトガル 3–3 スペイン(ソチ、フィシュト・オリンピックスタジアム)

クリスティアーノ・ロナウドは、この試合で3得点を挙げてマン・オブ・ザ・マッチに選ばれました。3点目は88分の直接フリーキックです。スカイスポーツは「壁の上から曲げてゴール上隅へ」と描き、Optaの統計として「ポルトガル代表にとってメジャー大会での初の直接FKゴールで、45本目の試みだった」と伝えています。

対戦したスペインのフェルナンド・イエロ監督は、試合後に米NBCスポーツへこう語りました。「ロナウドのような選手と戦えば、こういうことは起こる。ロナウドのような選手を持つチームはどこであれ非常に幸運だが、私は彼を自分のスカッドのどの選手とも替えない」(筆者訳)。

ポルトガル代表のメジャー大会で44本蹴って入らず、45本目で初めて入った。少年団のコーチとして私が子どもたちに見せたいのは、曲がり方より、この数字のほうです。外し続けても蹴る役目を降りなかった人だけが、あの88分に立てる。私はそう思っています。

順位 蹴った人 舞台 距離
No.10 アンドレア・ピルロ EURO 2012 グループC —
No.9 シニシャ・ミハイロヴィチ セリエA 第13節 約25m(3本目)
No.8 ジュニーニョ・ペルナンブカーノ UCLグループステージ 約35m
No.7 リオネル・メッシ UCL準決勝第1戦 約35ヤード
No.6 クリスティアーノ・ロナウド W杯グループB —

※距離は各媒体の表記(ヤード/メートル)をそのまま。「舞台」は編集部の要約。ここからは、いよいよ上位5本。

No.5ディエゴ・マラドーナ — 規定より近い壁を、二人で越えた

1985年11月3日 セリエA 第9節 ナポリ 1–0 ユヴェントス(ナポリ、スタディオ・サン・パオロ)

ペナルティエリア内でガエターノ・シレアがダニエル・ベルトーニを倒し、主審のジャンカルロ・レディーニはPKではなく間接フリーキックを選びました。ユヴェントスの壁は規定の距離よりはるかに近く、隣に立っていたエラルド・ペッチは「そんな位置からどうやって」とディエゴ・マラドーナを止めようとしたと伝えられています。それでも最後は「好きにしろよ、どうせ君はマラドーナなんだから」と折れ、ボールに触れました。マラドーナが後半、蹴り上げたボールは壁を越え、ユヴェントスの守護神ステファノ・タッコーニの守るゴールへ落ちていきました。

壁の最前列にいたユヴェントスのマッシモ・マウロは、2024年3月、伊イル・マッティーノにこう語っています。「あの驚き、あの芸術作品を、目の前で見た。味方も相手も、ピッチの上でみんな観客だった。レオナルド・ダ・ヴィンチがモナ・リザを描くのを隣で見ているようなものだった」(筆者訳)。タッコーニ自身も2020年のラジオ出演で「35年経っても、あのゴールはマラドーナに決められたと言い続けている」「私にとっては、世紀の2番目のゴールだ」と語ったと、地元メディアが伝えています(筆者訳)。

間接フリーキックは、ひとりでは完結しません。ペッチの小さな一触りがあって、初めてマラドーナはボールを浮かせて壁を越す蹴り方を選べました。「そんな位置からどうやって」と言った人が、次の瞬間には相棒になっている。この二人の呼吸のほうを、私は子どもたちに見せたい。

No.4ロナウジーニョ — 誰も予想しなかった、曲がるクロスシュート

2002年6月21日 FIFAワールドカップ準々決勝 イングランド 1–2 ブラジル(静岡スタジアム エコパ)

ロナウジーニョは50分、右サイド外からのフリーキックを直接ゴールへ蹴り込みました。英BBCはこの位置を「ゴールから42ヤード」と書き、「誰もが中へ入れるボールを予想したが、カーブのかかったクロス気味のシュートがシーマンを欺いた」と描いています。ロナウジーニョは57分に退場処分を受けました。

本人は2015年、英FourFourTwoのインタビューでこう振り返っています。「彼(シーマン)がラインから出ているのは見えた。5メートルくらい。本当にゴールを狙った。ただ、ボールが入った場所そのままではないけれど……」「あの大会でブラジルのために戦った最高の試合での、素晴らしいゴールだった。アシストして、点を取って、退場になった」(筆者訳)。イングランドのGKデビッド・シーマンは試合後、「ファンのみんなに謝りたい。人々を失望させてしまった気がする」「彼はフリーキックを蹴りそこねたと思ったし、私は判断を誤った」と語りました(筆者訳)。イングランド主将だったベッカムは、シーマンをかばってこう言っています。「あの後でデビッド・シーマンをスケープゴートにする人がいたら、まったくの恥だ。彼はこの大会で最高のGKだった」(筆者訳)。

キーパーがどこに立っているかを見て、コースを変える判断。うちの少年団でも、シュートの前にまずキーパーの位置を見なさい、とよく言います。狙いどおりだったのか、結果的にそうなったのか。本人の言葉を全部並べても分からないのがこの一本のいちばん面白いところで、翌朝のグラウンドで「シーマン、前に出すぎ」と言いながら蹴る子が出てくるのを、私は想像します。

No.3ロナルド・クーマン — 延長112分、初タイトルを呼んだ一撃

1992年5月20日 チャンピオンズカップ決勝(延長) バルセロナ 1–0 サンプドリア(ロンドン、ウェンブリー)

延長112分、ロナルド・クーマンが決めた直接フリーキックが決勝点になりました。バルセロナにとって、これがクラブ初のチャンピオンズカップ(欧州王者のタイトル)でした。英ガーディアン紙は2009年のコラムで「W杯やチャンピオンズカップの決勝で直接FKが決まった例、それが試合を決めた例は驚くほど少ない」とした上で、クーマンの一撃を「サッカー史の中で特別な場所を占め続ける」と評しています。

UEFAの公式誌チャンピオンズ・ジャーナルによれば、クーマン本人は後年「鳥肌が立った」と認め、グループステージでディナモ・キエフに勝った後には記者団へ「我々はウェンブリーに行く」と言い切っていたそうです。25周年の回顧では「セビージャで起きたことのせいで、人々は楽観していなかった」(1986年の決勝でPK負けを喫した記憶です)と振り返り、「クラブはその後もっと勝ったが、最初の一つは誰にとっても大切な瞬間だ」と語っています(筆者訳)。

うちの少年団では、延長やPK戦になると急に蹴り方が雑になる子がいます。112分まで同じ蹴り方を守れるかどうかは、練習の量よりも、その日の落ち着き方次第だと私は感じています。「我々はウェンブリーに行く」と先に言ってしまえる人の落ち着きは、たぶんそういうものです。

No.2デビッド・ベッカム — 93分、ギリシャ戦を救った同点弾

2001年10月6日 2002年W杯欧州予選最終戦 イングランド 2–2 ギリシャ(マンチェスター、オールド・トラッフォード)

引き分け以上で本大会出場が決まる一戦、イングランドは2-1で負けていました。テディ・シェリンガムが倒されて得たフリーキックを、デビッド・ベッカムが蹴ったのは93分、後半アディショナルタイムです。距離は約30ヤード(27m)と伝えられています。BBCはこの試合を「93: Beckham rescues England at the death」の見出しで報じ、ベッカムはそれ以前に5本のロングレンジのフリーキックを外していたと書いています。同じ時間、ドイツ対フィンランドが0-0に終わったため、イングランドは得失点差で首位となり出場権を得ました。

ベッカム本人は試合後、BBCにこう語っています。「フリーキックはかなり蹴ったが、ほとんどが不満だった」「最後のチャンスが来たとき、テディ・シェリンガムが自分が蹴ると言ったが、私が蹴ることにした」(筆者訳)。スヴェン=ゴラン・エリクソン監督は「ドイツは0-0で終わり、そこでデビッド・ベッカムが出てきて、またすごいフリーキックを決めた。ワールドカップの切符は我々のものだった」と語り、同点弾を決めたテディ・シェリンガムは「大事なゴールに見えた。でも1分後にはそう大事でもなくなっていた」と振り返りました(いずれも筆者訳)。

5本外した後に、シェリンガムが蹴ると言っても、自分で蹴りに行く。技術より先に、その夜の蹴る役目を引き受け続けられるかどうかです。翌朝、外した子が黙ってもう一度ボールを置き直すのを見ると、私はこの93分を思い出します。

No.1ロベルト・カルロス — バルテズが、動けなかった一撃

1997年6月3日 トゥルノワ・ド・フランス開幕戦 フランス 1–1 ブラジル(リヨン、スタッド・ジェルラン)

21分、ディディエ・デシャンがロマーリオを倒したファウルから、ロベルト・カルロスがボールを置きました。スカイスポーツによれば位置はゴールから40ヤード、BBCが伝える物理学者の論文では35メートルとされています。ボールを置いてから18歩下がり、助走はセンターサークルの内側から始まったとスカイスポーツは書いています。壁にはジネディーヌ・ジダンら4人が入りました。

ボールは一度、ゴール脇へ飛び出すように見えました。ゴール横のボールボーイが身をかがめたほどです。ところがボールは戻ってきてポストをかすめ、動かなかったファビアン・バルテズの横を抜けてネットに入りました。壁の左側に立っていた23歳のロベール・ピレスは、2017年にスカイスポーツへ「ボールは私と壁の間を曲がっていったから、とてもよく見えた」「あんな蹴り方は驚きだった……考えられないことだった」と語っています(筆者訳)。

ロベルト・カルロス本人も同じ2017年、スカイスポーツに「ドゥンガにどうやったのかと聞かれて、分からないと答えた。……ポストに当てたかった、それだけだ」と振り返っています(筆者訳)。2010年にはパリの研究チームがこの軌道を説明する論文を発表し、BBCによれば、回転する球の軌跡は螺旋を描き、ゴールから遠いほどその先の急な曲がりが見える、というのがその説明です。

本人が「分からない」と言うものを、コーチが説明できるはずがありません。うちの少年団でも、思い切り曲げたい時ほど下がる歩数を教えますが、18歩下がってセンターサークルから助走する子はいません。あれは、教えられない。ただ、あの夜の翌朝、歩幅を数えながらボールを置く子が世界中の土のグラウンドにいたはずで、私が思い浮かべるのはいつもそちらの光景です。13年後に物理学者が説明した軌道を、子どもは翌朝に真似しようとする。それがフリーキックという遊びの、いちばん愉快なところだと思っています。

補講 — 日本の4本

ここまでの10本には入りませんでしたが、日本人はすでに大舞台で直接フリーキックを決めています。中村俊輔は2006年、セルティック在籍時のチャンピオンズリーグで2本のFKを決めました。9月13日のオールド・トラッフォードでは、クラブ公式の回顧によれば25ヤードから決めて2-2に追いつき、チャンピオンズリーグで得点した最初の日本人選手とされています(この試合は3-2で敗戦)。11月21日のセルティック・パークでは30ヤードのFKで1-0の決勝点を挙げ、セルティックは初めて決勝トーナメントへ進みました。守っていたのはエドウィン・ファン・デル・サールです。元トッテナムのスティーブ・ペリマンが中村を「左足で豆の缶詰を開けられる」と評した言葉が、CBCの記事に残っています。中村は試合後、「いちばん大きいのは、ラウンド16に進めたこと」「あれだけ大きな試合だったから、たぶん自分のキャリアで最も重要なゴールだ」と振り返ったと、クラブ公式サイトは伝えています(筆者訳)。

もう2本は、2010年南アフリカ大会グループE、デンマーク戦です。日本は3-1で勝ち、本田圭佑が17分、遠藤保仁が30分に、それぞれ直接フリーキックを決めました。マン・オブ・ザ・マッチは本田です。BBCの実況は、本田のFKを「右タッチライン近く、30ヤードから壁の上を越え、遠いコーナーへ」、遠藤のFKを「右足で壁を巻いてコーナーへ」と描いています。遠藤本人は2018年のJFA公式インタビューで、このゴールを自分の中では「ベスト10にさえ、入らないゴール」と振り返っています。蹴った本人がそう言うところが、いちばんこの人らしいと私は思います。デンマークのモアテン・オルセン監督は試合後、「試合全体の流れは、彼らが2点を取ったあの2つのセットプレーで決まった。準備もした。だが役に立たなかった」と語りました(筆者訳)。以前の読みもの「日本代表史上ベストゴールランキング」に書いた岡野雅行のVゴールとは違う舞台ですが、日本サッカーが扉を開けてきた夜として、私にはどこかつながって見えます。

結び — いつか、日本の誰かが

いつか日本選手が大舞台でこういうゴールを決める日は来るか。この記事の最初の問いはそれでしたが、ここまで見てきたとおり、答えはもう出ています。中村俊輔はチャンピオンズリーグの舞台で、本田圭佑と遠藤保仁はワールドカップの舞台で、すでに直接フリーキックを決めているからです。だから私がここで置き直したい問いは、「日本人のFKが、この10本と同じ席に座る日は来るか」、つまり、世界中の誰かが翌朝のグラウンドで真似したくなるような一本になる日は来るか、というものです。

世界の記憶に残る一本になるかどうかは、蹴った瞬間には本人にさえ分かりません。ロベルト・カルロスは、ボールが足を離れた瞬間、大きく外れると思っていたと語っています。バルテズが一歩も動けなかった夜も、ロナウジーニョがシーマンを欺いた午後も、蹴った選手たちにとってさえ、半分は偶然だったのだと思います。だとすれば、いつか誰かが、その偶然を呼び込むところまで蹴り続けているかもしれません。私は、そんな一本が生まれた翌朝の、どこかの土のグラウンドを、今から楽しみに待っています。

確認事項

順位はこの読みもの独自の見立てで、公式の評価ではありません。日付は現地時間です。海外メディアの言葉は筆者が日本語にしました。動画の公開状況は変わることがあります。記録はFIFA・UEFA・各国協会の公式でご確認ください。